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季節の山野草

45期 岡田さん

 

北見のマンホール

37期 齋藤さん
 





恩師 岡田侃己 先生 逝去 (2021/4/8)


『ヨタパン』の愛称で生徒たちから慕われていた恩師 岡田 侃己(おかだ ただみ)先生が
昨年2021年4月8日にお亡くなりになっていたことが判明しました。

岡田先生は兵庫県出身。昭和39年から9年間北見北斗高校に奉職され、
世界史など社会科を担当されました。またクラブ活動では「新聞部」顧問を務められ、
教え子たちが広く深く社会を見つめる人間になれるようご指導されました。
昭和48年に北斗高校を退職して故郷に戻り、県立宝塚高校から教師生活を再スタートし、
尼崎市立城内高校校長、県立須磨東高校校長を歴任され、平成12年(2000年)に教育者生活に
ピリオドを打たれました。
その後、北見で文化シンポジウムを主宰されるなど北見とのつながりを続けられていました。
関西とどの実会会長伊藤純夫さん(42期・当時新聞部部長)によれば、関西とどの実会の会合にも
度々出席されていたとのことです。4年ほど前に体調を崩され施設で療養されていました。
享年81才。
先生のご遺徳を偲び謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌。




先生が北斗時代の9年間で唯一クラス担任をされ一番つながりの深い43期3年3組の木村篤さんが
先生への敬愛の情あふれる追悼文を寄稿してくれました。


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岡田侃己先生 追悼記
   ─ 先生と北斗の良き人々 ─


                      43期 木村 篤



●岡田先生亡くなる、東京とどの実会 広川会長のメール

岡田侃己先生が2021年4月8日に亡くなったとの報せが、43期奥村公平君からあったのは、昨年末の12月14日。
43期の仲間を中心にラインなどでやり取りした後、北斗で唯一担任をしてもらった43期(3組)に属する者として、岡田先生について記録を残しておきたいと思い立ちました。偶々、東京とどの実会で43期幹事を務めており、ホームページに追悼記を載せたい、と広川会長や幹事の皆様にメールしたところ、広川会長より次のような返信メールが寄せられました。

- - - - - -
岡田先生ご逝去とのこと、驚き、悲しい!!!!です。
岡田先生は小生たち42期入学と同じ昭和39年の着任で、
小生の北斗時代の最も魅力的で親しみを覚える先生です。(担任以上に!)
普通の教師像とは真反対でした。
朝寝坊して授業に現れない先生を住宅まで起こしに行ったり、
「岡田先生!青空授業しようよ」と唆して前庭の芝生の上で弁当食べながら授業してもらったり・・・
色々懐かしく楽しい思い出があります。
あんな型破りな高校教師は後にも先にもいなかったんじゃないでしょうか。
先生というより失礼ながら親しい友という印象を持っています。
ご冥福を祈ります。合掌。

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●本追悼記の趣旨


短い文章で岡田先生のことを見事に表現していただいている。近過ぎてちょっと書けないことが率直に書かれ(褒めすぎだと思います)、'64(昭和39)年から数年間北斗にいた40期代前半我々の岡田先生に対する共通評価が示されていると思いました。
広川さんの文章があることを前提に、40期代前半の我々と岡田先生について、時代背景、実績、関わった人々を具体的に書くことで追悼文になるのではと、綴ったのがこれからの文章です。43期生ももはや72~73歳、忖度なしに、亡くなった人も含め個人名も挙げて、岡田先生との関わりを書き綴ります。



●岡田先生、高校、大学、北斗赴任まで


岡田先生は、多分1939年生まれ。'49年~'50年生の43期生より10歳上、享年81歳だったと思います。
兵庫県出身、龍野高校卒。哲学者三木清が出た学校で、先生そのことに誇りを持っていたようです。同級生に検事総長になった原田明夫氏(故人)がおり、極めて親しい間柄だったと聞いています。
高校卒業後、早稲田大学に入学。伝統のある校内演劇集団「自由舞台」で活動、60年安保闘争に関わっていた筈です。自由舞台での活動とも関係があるのでしょうが、在学中NET(現在のテレビ朝日)でアシスタントディレクターとして働き、6年間在学。広川さんの文面にあるように1964年(昭和39年)北斗に赴任。



●岡田先生赴任後の政治・経済・社会・文化状況、
 世界への窓口としての先生


新幹線開通、ベトナム戦争、東京オリンピック('64年)、日韓条約('65年)、ビートルズ来日('66年)、佐藤内閣時代で、当時はそれ程そうとは思わなかったのですが、高度成長、社会・経済の構造が大きく変化した時代でした。北見でも離農が益々進み、マイカー時代となり、物価は上がるが毎年豊かになるような感じでした。
43期生は、'68年に卒業するのですが、国内は'67年の羽田闘争から'68年1月の米空母エンタープライズ寄港、東大・日大闘争、新宿騒乱、'69年東大入試中止、全国学園闘争、国際的には引き続くベトナム戦争、それに対する国際的反対運動、'66年から始まる中国文化大革命、'68年フランスでの5月革命、同年8月ソ連によるチェコ侵攻があった時代、全世界的に政治・経済・社会構造の変容する時代でした。
トニー・ジャットという我々とほぼ同年代のイギリス人歴史家は、「ヨーロッパ戦後史」という著作で、イギリス・フランス・ドイツ・イタリアなどヨーロッパ諸国で、同時期に経済・社会構造・文化が大きく変容したと書いています。圧倒的に進んでいると思っていたヨーロッパ諸国でも、日本と同じようなことが起こっていた事に驚きました。ヨーロッパ・日本の大変容期或いは戦後黄金時代が我々と岡田先生が出逢った時だったわけです。
それは、ビートルズやヒッピーに代表される新文化・芸術の胎動も感じられる時代でした。日本でもフォーク、アンダーグラウンド(黒テント、赤テント)、フーテンなどの動きがあり、北見に住む私達はその舞台となっている東京、その先の世界を憧れをもって見ていました。
岡田先生は、変容する世界、その象徴としての東京への窓口的存在として北斗に現れたの
ではないでしょうか。その風貌、言動は、生徒には大きな衝撃だったように思います。

私達43期は、'65年入学ですが、岡田先生の家でサルトル(フランス語の原書も)、カミュ、マルロー、ヘンリー・ミラー(ネクサス、セクサスという怪しい題名の小説)、ノーマン・メイラー、花田清輝、堀田善衛などの本や早稲田大学新聞などを見ました。「サルトルも高校の教師をして『存在と無』を書いたから俺も」みたいな発言があり、「これこそ人間だ」との大江健三郎の言葉が帯に書いてあったドイッチャーの「トロツキー伝」もあったように思えるのは、捏造記憶かもしれません。東京、外の世界を強く感じた気がします。




●43期1年時の担任体制、新聞局顧問

43期の担任は、1組浅野、2組丸山、3組岡田、4組藤川の諸先生でした。
43期の1年生の時、岡田先生は3組の担任でしたが、1年生の授業はなく、担任の3組の生徒と、顧問をしていた新聞局にいた生徒が深く関わっていました。新聞局は岡田顧問の下、特別号を制作、北海道の高校新聞コンクールで優勝した、との記憶があります。岡田先生の能力の高さを示すひとつの例です。1年生で新聞局にいたのは、先生の死を伝えてくれた43期の奥村公平君や式部佳和君。彼らが43期に多くいる岡田チルドレン(私の勝手な命名です)の走りではないか、と思っています。




●43期1年時の応援団問題、41期生児玉節さんのこと


'65年入学の43期生にとって、最初の大事件は応援団問題、これを主導した41期児玉節、藤田正美(後ニューズウィーク編集長)、田丸誠(後北見市図書館館長など、北見市史執筆)の諸氏は、岡田先生と極めて密な関係がありました。
児玉さんは、その後早大に行き、先生と同じく自由舞台で活動、北見でも福田善之「袴垂れはどこだ」を上演しました。この前後、NHK教育テレビで放映された若者の文化・行動に関する番組で、都立西高を出た七字英輔という同年代の論客と堂々と議論していたことは、我々を勇気づけました。因みに児玉さんは、高校時代にサルトルの「存在と無」を読み終えていた、との伝説があります。真偽はともかく、当時の北斗の知的志向と水準を示す話です。児玉さんは息子さんにも北斗という名前をつけています。この時代の卒業生の北斗への思い入れの象徴です。児玉さんは、何と私の会社の創立者達と仕事をしていた、と奇縁があります。相馬で奥さんの実家の明治44年から続く書店を経営、10年前に亡くなりました。書店は相馬市の文化拠点でもあり、地域の人々の誉望を集めていたと聞いています。良い人は早く亡くなるという感じがします。

 



 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 







 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 






 

 

 

 











●ヨタの与太話、2年時のクラス分け、佐藤彰君のこと

岡田先生の話──岡田先生は話が素晴らしく上手く、作ることも平気でする。ヨタの与太話、或いは岡田語録──を幾つか。
43期が2年になる時、事故があり、2組の担任が丸山先生から後藤先生に変わりました。それを受け、「2年生になった時のクラス分けを丹念にし、浅野1組と岡田3組に問題児を集め、後藤新担任の2組には真っ当な生徒を割り当てた、問題児のお前は浅野先生から頼まれたから引き取った」などと云われました。
「2組が真っ当なのは、3組から佐藤彰(彼も代表的な岡田チルドレンです)を出したことでも明らかだろう」とも。確かに、その後、東北大に進学した佐藤彰君は、43期で最も明晰な生徒でした。大学在学中、海水浴で水死、今でも彰がいればという同級生は多い。ただ、この割当て話、浅野勝圀先生に言わせるとそのようなことはない、とのこと。岡田先生とは真逆の人格者である浅野先生の言を信じます。



●教え子の進学に関与、ココロ、キレイ、加藤修一君への評価


岡田先生が人気があったのは、個々人を思いやり、心を読み込む、共感する能力が高かったためです。「子ども嫌いな奴、教師やらない方が良い」というのは岡田先生の言葉。良いところ、悪いところも含め、我々一人ひとりの面倒を見てくれました。教師として面倒見が良かった事例をひとつ。高度成長に突入したとは言っても、当時はまだ貧しく、成績が優秀でも大学進学できなかった人間が沢山いた時代(中学の同級生の幾人かは東京に集団就職した時代です)。43期3組の辻礼子さんによると、進学するつもりのなかった辻さんのところに、北海道学芸大学釧路分校(現 北海道教育大学釧路分校)を出た柏倉先生とともに来て、柏倉先生の経験からしても、同校なら奨学金をもらって大学に通うこともできるから、是非進学させてくれるよう、両親にかけあったそうです。辻さんは同校を出て、教師になりました。子ども好きのとても良い教師だったようです。

岡田先生の言葉が人を惹きつけるものであったことをもうひとつ、ふたつ。43期3組の渡辺順子さんに対する評価、「順はココロ、キレイやから」。こんな褒め言葉なかなか云えません。
43期には参議院議員、環境副大臣を務めた加藤修一君がいます。彼は公明党の議員ですが、ある時、自民、公明が提出した安保関連法に賛成できない、との意志を貫くため、棄権することを選びます。「『人間は自分の信ずることを断固としてやらなければならないことがある』と修一は云っていた。他党と比べても異論を貫き通すことが難しいあの党で修一があのような行動をとったのは本当に偉い」と岡田先生は云っていました。私の政治的判断と加藤君のそれは一致しませんが、人間として、また政治家としての加藤君に対する評価は岡田先生に強く同意し、北斗らしさ、岡田クラスらしさを強く感じました。




●カンニング事件、修学旅行

43期3組の最大事件は、2年生の時の修学旅行を前にしたカンニング事件。私も含めた当事者十数名が関与。岡田先生は、クラス全員に、カンニングをした理由、その後の対応など徹底的に問い詰めました。クラス討論が夜になり、電灯のなかった教室にライトを持ち込んで続けました。主体的な責任、落とし前のつけ方などが求められ、ある面理不尽な状況劇的なものを共有することで、3組のクラスとしての凝縮度は極めて高まりました。ラグビー第一であった齊藤彰君がクラスに強く関わるようになり、代表的な岡田チルドレンとなります。43期生がとどの実会や北見会に大挙参加するようになったのは齊藤君がいたせいですが、その契機ともなった事件でした。

修学旅行時、3組の個別東京見学として岡田先生が設定したのが、隅田川観光船。浜離宮から浅草、当時の隅田川は黒くにごり、ガスがボツボツと湧いていました。修学旅行生に東京のこのような面を見せるのは、教師としての才能を示す優れた企画だったと思います。修学旅行では、部屋に間違えて持ち込まれた膳を幾人かで食べ、皆で知らないととぼけたのですが、岡田先生がクラスのリーダーだった式部君に「式部、食べたのか」と一喝。「食べました」と式部君。確か外出禁止に。式部君はよくこんな役回りを担わされていました。

カンニング事件、修学旅行の件は、同期会での3組定番話。何十度語られたかわかりません。主な語り部は齋藤彰君、吉田勝次郎君。





●担任はお前達で懲りた


岡田先生は43期3組卒業生に対し、お前達で懲りたから、北斗でも兵庫県の高校でも担任はしなかった、と何度も云っていました。ヨタの与太話で、北斗では事実ですが、兵庫県ではどうなのか、と思っていますが、特別な絆があると3組卒業生が感じ続けていたのは事実です。





●結婚、披露宴、松崎房司君

43期生が卒業した後、先生は大学時代、家庭教師をしていた万里さんと結婚します。万里夫人、当時上智大学生、43期と同じ年齢。43期3組女子達、心穏やかざるものがあったと聞いています。新婚の先生のところに行った前述の斉藤彰君、「万里、万里」といって泣かしたとの噂もあります。ちなみに万里夫人も高校教師となり、校長先生として岡田先生より活躍したと伺っています。岡田先生の結婚と同時期、43期で柔道部キャプテンをしていた松崎房司君が多分10代だった幸子夫人を伴って北見に帰っていました。岡田夫妻の披露宴、先生の提案で松崎夫妻の披露としてもなされたと聞いています。なかなかあり得ない。良い先生です。松崎君は、修学旅行後2年後半という異例な時に3組の田辺昇君、谷田芳照君を誘って柔道部に入部させ、同君等と深い関係を築いていました。これには岡田先生が噛んでいたと私は思っています。松崎君は結婚披露後東京に戻り、20代半ばで火事で焼け死にました。家が火事になり、一度は無事避難したのですが、飼っていた犬を助け出すために家に戻り、全身火傷を負ったのです。面倒見の良い、優しい人間でした。本当に良い人間は早く亡くなる。岡田先生、松崎君の追悼文集つくるよう言っていました。今回、これを書いているのも、それを果たさなかったことへのお詫びもあります。


●北海道、北斗への思い入れと、
  外、世界を見ること、 全国区の先生方


岡田先生が我々に伝えたのは、北海道、北斗への思い入れと相対化。辺境に生きることの誇りを持つ、しかし、目は外を、世界を見ていなければならない。「北斗には小池喜孝(故人)、安藤美紀夫(故人)、蓑口一光といった全国区の先生がいる」とは岡田先生の言。小池先生は民衆史の大家、縄文トンネルなどの著作も多く、最近では東京での編集者時代「赤毛のアン」とのタイトルをつけた人として注目を集めました。2015年7月号の文芸北見に、41期の田丸誠さんが伝記を書いています。安藤先生は児童文学者、イタリア文学翻訳家として著名。蓑口先生は、明治大学のフッカーで、北斗ラグビーを全国大会準優勝まで導いた指導者。
北斗は、地区優勝や北海道大会優勝を目指すのではなく、全国(大会)を見据えたクラブがあり、学校でなければならない、みたいな感じが岡田先生だけでなく、当時の北斗にはあったと思います。
40期代前半の我々が、東京、京都に大挙して出かける感じがあったのは、全国を視野に入れるとの感じがあったためだとも思います。





●ふるさとを愛でる外の人の目

本当に余談ですが、小池先生、安藤先生のことで思い出すのが、北見、オホーツク地方を愛でる文章。小池先生は「常紋トンネル」という著作で、トンネルを抜けてしばらくすると天と地が大きく開かれた明るい北見盆地に出る、と書いています。
安藤先生は、北斗の前任地である津別の山々が美しい緑で覆われていたと書いています。
岡田先生ともよく「北見の空は大きくて高い」と言っていました。外から来た人がふるさとを愛でてくれるのはとても嬉しいもので、ふるさとを離れると尚更そう思います。




●兵庫県の教師生活、エデュメント、企てる人

北斗に10年いた岡田先生、故郷の兵庫県に帰り、高校教師を続けます。
宝塚高校の教師時代、芥川賞作家・俳人の小林恭二氏を教えます。(これも余談ですが、岡田先生は小林氏に関し、「齋藤彰をもっと面白くしたやっちゃ」と云っていました)
「部落、極道、朝鮮を相手にしなければならない関西で極めて有能な教師」(岡田先生談)であり、何と校長先生にもなります。「ウソだろう。どの面、下げて」とは、北斗生(教師)の総意のような気もしますが。兵庫には、代表的岡田チルドレンである吉田勝次郎君(東京北見会北見支部長)が訪ね、先生の知り合いの飲み屋にいたその筋の方と互角に渡り合い、「勝次郎はすごい」と先生に云わしめたとのエピソードがあります。吉田君は、先生と最も密接に連絡を摂り、阪神淡路大震災に遭った先生の安否を確認、支援物資を送っています。
兵庫県では、難しい地域の高校にもいたようです。女子生徒が「先生、今日、じじいに逝かされて疲れた」と言ってくるようなこともあったとか。「問題のあった時、玉ねぎスープを先生達に配って、よろしくと言うんや」とも。
先生は、エデュケーションとエンターテインメントを組み合わせる新しい教育にも取り組んでいました。「文科省から助成金とった」「俺は文科省では顔なんだぞ」、東京に来た時にそう云い、「エデュメント」(確かこんな言葉)に関する事例論文ももらった記憶があります。
後述のシンポジウムも含め、何か企てるのが好きで、その能力にも恵まれた人でした。


 

 

 

 

 






















 









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





























 

 

 

 

 

 

 

 



●京都北斗部落、関西とどの実会

41期代から数期、北斗から京都に行く者が多く、北斗部落を形成していました。42期井田早弓さんが草分けで、43期の奥村君、近江修君(43期生徒会長)、加藤康二君、小田健治君、朝田真樹子さん、44期工藤和男君(44期生徒会長)など。井田さんは、同志社大学文学部長となった工藤君と結婚。奥村君や加藤君などとともに関西とどの実会を支えていると聞いています。岡田先生も出入りし、(身内的立場からすると)迷惑をかけたのではと思っています。先生は兵庫に行っても、北斗への思い入れはずっと強かった。花園でも、応援に行った北斗卒業生と会っています。




●北見での教育シンポジウム


北見、北斗と岡田先生の関係で特筆すべきは、20年程前、60歳で定年退職をした先生が北見で実施した教育シンポジウムです。岡井隆、なかにし礼、小林恭二氏といった一流の人々をパネラーとして招いたイベントは、参加者動員面などで必ずしも成功とは云えないものでした。北見在住の北斗卒業生は色々手伝いもしたのですが、どうも先生には満足のいかなかったもののよう。遅れた北海道、北見を啓蒙するといった感じがいやとの見方もあったようです。実施前、東京とどの実会にも、突如来て寄付を募っていました。このイベントで、先生は数百万の赤字を背負ったと聞いています。北見への強い思い入れを示す一方、当人の意識、評価とは異なり、実務は弱い面もあったようです。




●43期東京とどの実会に大挙参加の理由

43期は、他期に比して、東京とどの実会、東京北見会の参加者が多い。これは、30年程前、前記の齊藤彰君が全国の43期生の所在を確認、名簿を作成・送付し、両会に大挙して参加する状況をつくり出したことによります。齊藤君がこのような行動をしたのはラグビー部繋がりによる要請もありましたが、岡田先生の影響だと思います。




●43期の泊りがけ忘年会、岡田先生の東京来訪

とどの実会に大挙参加するようになった43期は、泊りがけ忘年会を恒例事業として実施しています。岡田先生に声がけするのは当然で、熱海などには何度も来ていただきました。旅費は勿論出さず会費は支払ってもらう。誰も恩師として遇するといった他人行儀なことは考えていませんでした。近年体調のため参加が難しくなった時期から、酒の差し入れをいただいていた程です。また、岡田先生は、奥さんの実家のあった東京を度々訪れ、43期生とよく会っていました。東京とどの実会前会長の40期長谷川知子さんとも会っていたと伺っています。担任でなかったため、岡田先生とは親しくなかった鈴木富雄君(東京北見会幹事長)、嵩茂君(東京北見会副会長)が岡田チルドレン化したのもこのような交流のためです。




●2016年の京都忘年会、作田英二君のこと

岡田先生と最後に会ったのは、関西での43期泊りがけ忘年会。2016年(6年前)の京都と2019年(3年前)の奈良。

6年前の京都で、岡田先生は泊まりはしなかったのですが、深夜まで旅館にて女性達と与太話をしていました。次の日、43期の吉田君、齋藤君、応援団長だった井上晴夫君と私の5人が神戸三宮で先生と会い、中華街や阪神淡路大震災の墓碑を案内してもらいました。仕事のあった齋藤君が帰った後、先生が会員となっている有馬温泉の超高級リゾートホテル(東急リゾート)に4人で泊まりました。会員割引で安かったため、また先生への評価が甘い43期3組女子の中でも最も甘い種本節子さんからの過分なカンパもあり、初めて先生の分を負担した記憶があります。先生は関西での忘年会、ここで開くようずっと云っていました。
京都での忘年会の東京幹事をしていたのが、東京北見会で幹事長を務めた43期3組の作田英二君。彼は「高校時代はそれ程でもなかったが、今はこんなに活動している、岡田先生も認めてくれるだろう」と言っていました。と云いつつ、岡田先生上京時「よんどころない用事がある」(大体ゴルフです)と、担任生でもない嵩君などに対応を任せていたのも同君らしいエピソードです。
翌2017年8月に亡くなる彼は、京都忘年会に参加できなかったのですが、私達は有馬の東急リゾートでの話をし、治ったら東急リゾートで岡田先生、43期生招いて、作田君持ちで快気祝いしようと不可能なことを云っていました。彼が亡くなった時の葬儀には380余名もの参列者がおり、43期3組は担任の岡田名を掲げた花を出しています。ここまで書いた後、齋藤彰君から岡田先生が作田君の死に際し、「空気が読めるサムライの旅立ちを悲しむ」とのメールをもらったとの連絡を受けました。作田君の特徴を捉えた惜別の句、あちらの世界で作田君「さすが、岡田先生、人垂らし」と言っているように思えます。
作田君の葬儀には、43期岡田チルドレンの多くが集まり、何となく岡田先生の葬儀にもこのメンバーが集まるのではないか、と想像していました。その想像は裏切られることになりました。





 

 

 

 

 

 





























 

 

 

 

 

 

 


●3年前、奈良の忘年会から岡田先生訪問

3年前、奈良での忘年会から奥村君の案内で10人程で、先生がいる施設を訪れました。
最初は精気のなかった先生が、会って話をするうち、みるみる元気になったことを
昨日のことのように思い出します。これが岡田先生に会った最後の機会となりました。
その後も、岡田チルドレンの間では、先生のところに行かなければ、とよく話していました。





●岡田クラス(43期3年3組)亡くなった人々

これを書いていて、松崎君や作田君以外で亡くなった岡田クラス(43期3組)が何人も浮かびました。岡田先生追悼記なので、書き切れなかった岡田クラス(43期3組)で亡くなった人々も同時に追悼させていただきます。
岩谷政明君、大学を出て北見市役所に勤めて、すぐに病気で急死。ギターを達者に操る好青年でした。
北條恭道君。「北條は松下幸之助のところに保険の営業に行ったのだぞ。偉いやっちゃ」とは岡田先生の話。独特の感じの不思議な人でした。
久戸和子さん。数学得意で生真面目。岡田先生にからかわれて怒っていたような記憶があります。2011年12月ですから10余年前、定山渓温泉で43期全体の同期会がありました。久戸さんはその時患っていて、それでも同期会に行くことを楽しみにしていました。病重く同期会に来られなかった久戸さんの入院先に、札幌在住の福光恭子さん、松尾紀子さん、前述の辻さんなどの手引で、出席していた3組全員で行きました。増田一恵君が「キートンが来たよ、わかるか」と言っていたのを思い出します。久戸さんは翌年亡くなりました。
橋爪実君。大学卒業後、訓子府役場に勤め、地域の歴史を研究。早期退職して「北光社 はたして北の国に義の国は建設できたのか」「置戸森林鉄道 大きな森の中を走った小さな機関車」など浩瀚な研究書を著す。熱心な原資科探索・整理、現地調査、丹念な取材、緻密な検討・研究作業に基づく著作は貴重な遺産。亡くなってからかなり経ってからのお参りの際、48期の(黒河)由美子夫人から、岡田先生これらの本を呼んでくれるかと聞かれました。勿論と答えたので、岡田先生に送られた筈です。「橋爪、ようやった!」と褒めていたのではと思います。
河合隆君。高校卒業後、ずっと北見工大の事務局に勤務。退職後沖縄に移住。趣味のシュノーケリング中に溺れて亡くなったと聞いています。尺八の名演奏者でもあったそうです。ずっと住んでいた北見から沖縄へ。岡田先生から「どうしたんや」と聞かれているように思います。
岩井静さん。名前の通りの佇まいの女性。6年前の同期会で連絡した幹事にお姉さんから亡くなったことを告げられ、皆ビックリしました。こんな人生だったと先生に報告しているのでは。
須藤容司君。本稿を書いている時、昨年亡くなっている、との連絡を受けました。高校時代テニス部。先に紹介した、担任生でも無いのに岡田チルドレンと化した嵩君とペア。卒業後、板前修業。
大阪で、北の売れっ子ホステスだったお姉さんと、割烹サロンを経営。北海道から直接取り寄せ、須藤君が調理する魚介料理名物。お姉さんの北時代の上客の来る良い店でした。私、バブルの真っ最中、宮島でのリゾート開発プレゼン、と言う聞くだにいかがわしい仕事で、大阪に行った時、店に行き、歓迎された記憶があります。同君に関しては、相棒の嵩君の言葉を紹介。須藤は本当に良い奴だった、あいつにどんなに助けられたか、分からない。




●良き北斗の人々のいる世界へ

教師と生徒というより、身内のような存在、能力・魅力は大いにあるが欠陥もある、兄のような岡田先生がいなくなった、もう会えない、ということ、現実とは思えません。10歳下の我々も、そのうち岡田先生ともどもここで紹介した亡くなった良き北斗の人々のいる世界に行きます。その時、また会い語ることを願って、追悼の言葉とします。




追記

長い文章となったこと、岡田先生追悼記であるにも係わらず、余計なことも書いたことお詫びします。
また、岡田先生の言葉・行動など、私の聞いたこと、判断が入っているかと思います。誤解、間違いがあれば全て私の責任ですが、岡田先生への思いに免じ、ご寛恕くださるようお願いします。特に、政治家である加藤修一君の行動、話は、岡田先生からの又聞きによるもので、ご迷惑をかけるものかもしれません。先生が、加藤君の言動を讃え、私も同感したとの趣旨を汲み取り、お赦し頂ければ幸いです。
なお、女性は全て旧姓にしています。































 









 

 

 

 

 

 

 

 

 







43期同期会「故作田英二君墓参」 (2020/2/2)


2月2日、同期の作田英二君の墓参りに10人が参加しました。
当初13人だったのですが、当人が風邪をひいたり、ご主人が
インフルエンザになるなど、結局10人の参加となりました。
南柏駅に集合、作田君の墓参りをした後、皆で楽しく談笑しました。
  
  
 

作田英二君は、東京とどの実会副会長として積極的に関与して
きましたが、東京北見会においても幹事長として永らく会を引っぱ
ってきました。3年前に亡くなられましたが通夜、葬儀に380人
もの人が来られ、人徳の高さ、付き合いの広さを我々に再認識させ
られました。仕事を辞めてから数年経つというのに、旧勤務先だけ
でなく取引先の方も多く来られていたのが印象的でした。

さて、その作田君の墓参りに、札幌から参加したのが、作田君と
小学校から高校まで一緒だった齊藤彰君。43期が、とどの実、
北見会に積極的に関与するきっかけとなった人間です。
斉藤彰君は、ラグビー部。数十年前、ラグビー部の大先輩の宮井
国夫さんから、とどの実に同期を参加せせるよう厳命を受けました。

ここで、ラグビー界のレジェンド、宮井国夫先輩について一言。
宮井さんの胸像が、北斗の前庭にあって見たことのある方も多いと
思います。宮井さんは、北斗がラグビーで準優勝した時の主将。
その後、明治に進学、八幡製鉄、日本代表でウイングとして大活躍
されました。100メートル10秒前半、陸上大学選手権で準優勝
されるなど、とんでもない選手だったそうです。いわば、ラグビー
界の長嶋的存在。私も、宮井さんの現役時代を知るラグビー評論家が
日本歴代最高のウイングと書いていいた記事を読んだことがあります。
今の福岡をもっと速くした選手といったイメージでしょうか。平成
28年(2016年)東京とどの実会会報Vol.17で、宮井さんを紹介して
います。

その大先輩の宮井さんより、厳命を受けた齋藤君は、その時某役所
に勤務していました。もう時効でしょうが、役所の通信手段を少し、
ではなくフルに活用、43期の仲間に連絡を取りまくり、43期が、
とどの実、北見会で活動する基盤を作りました(国民の皆様、税金
少し使って済みませんでした〉。
その時、電話で、心憎からず思っていた女性に、知らないといわれ
大ショックだったとは齋藤君の北斗話の一つ。確かに、北斗女子は
北斗の男子に冷たい傾向があるように思えます。

話がずれましたが、43期は、今年もいろいろ集まる予定です。
ずっと実施していた花見は、靖国神社で会場が取れなくなり、中止
になりそうですが、北見会の屯田兵ツアーで北見で必ず実施してい
る同期会、年末の忘年会他いろいろ会う機会がありそう。みな古希
を超え仲良くやっていく予定です。(木村篤記)






43期 作田英二さん
東京とどの実会副会長
東京北見会幹事長を務める
2017年8月20日逝去

















































42期同期会 (2020/1/23)


☆同期会は楽し!☆

42期東京組は平澤応援団長のかけ声で、新年会、お花見、暑気払い、
紅葉狩り、忘年会など年に数回「ホームルーム」と称し呑み会を開催
しておりますが、実はただの酔っぱらい呑み会ではございません。
何故かと申しますと「ホームルーム」の前に必ず「校外学習・社会科
見学」を行うというアカデミックな時間割にしてございますので、
女生徒や下戸も楽しめるたいへん北斗生らしい集いでございます。

これまで「柴又帝釈天・寅さん記念館」「迎賓館」「明治神宮・東郷
神社」「上野公園・西洋美術館」「国会議事堂」「相田みつお美術館」
「六義園」「日光華厳の滝・東照宮」などを見学しております。

令和最初の新年会、1時間目はなんと!「皇居参観」でございました。
皇居桔梗門・富士見櫓・宮内庁庁舎・長和殿東庭・伏見櫓・二重橋など
日頃は入れない皇居の中を宮内庁職員のガイド付きでゆっくり徒歩見物
でございます。陛下にお会い出来なかったのが残念でございました。











2時間目「ホームルーム」はあの「高校よせがきノート」で有名な新橋
「有薫酒蔵」でございます。
卒業生が飲みながら懐かしい母校のノートを読んだり書き込んだりする
「高校よせがきノート」。日本中の高校約3,200校のよせがきノートが
置いてありまして、ちなみに母校北見北斗高校はノートNo.338でござい
ます。

今回の集い、実は昨年同期の田辺円君(ラグビー部OB)がなんと
なんと!「旭日中綬章」を受章しましたので、この日は受章記念祝賀
新年会でもございました。田辺君おめでとう!目出たしめでたし。




さて、思い起こせば42期は10年前の「第60回東京とどの実会」の
当番幹事でございまして、これを機に同期の集まりが活発化したので
ございました。
何かにつけて集まる42期。これからも同期諸君と北斗時代に還って
ワイワイ楽しみ続けたいものでございます。(記:広川正三)






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





旭日中綬章

田辺 円君

 

 









43期同期会「再修学旅行・奈良」=恩師 岡田先生に再会= (2019/12/15~17)


43期は、例年12月に泊りがけ忘年会を実施しています。基本は首都圏で、北見、札幌、
関西から参加して実施します。
時折、定山渓などで実施することもあり、三年前京都で、再修学旅行という形で実施
しました。今年は、奈良で実施しました。
北見在住の極めて発言権の強い女性が、3年前の京都で今度は奈良でするという約束を
したと主張、だれも反対できず実施の運びとなりました。

北見から12名、札幌から4名、、東京から7名、関西から、今回幹事を引き受けていた
だいた奥村君、加藤君の2名、計25名で、12月15日から2泊3日の関西再修学旅行Ver2
とでもいうべき旅行を実施したわけです。
15日、東京組のうち4名は、東京8時発の新幹線で京都に向かい京都見物後奈良へ。
その他は、伊丹空港などを経て夕方奈良へ。その日は近況報告後の大宴会。




2日目は、
ジャンボタクシー3台で薬師寺、唐招提寺、二月堂、東大寺などを見学。感性、知識は
高校時代よりましになって見学。記憶は怪しいですが、みな日本の歴史、伝統を体感
したはずです。その後また大宴会。翌日みな自由行動ということで、再開を約し別れ
ました。

ところで43期3組にとって、奈良は思いで深い場所。修学旅行直前のカンニング事件
で、旅行参加を認めないみたいな話があった3組。奈良での旅館で、一膳余分に配ら
れたものを数人で食べてしまった。担任の岡田先生が来て、お前たち食べていないの
か、と聞かれ元気よく食べていません、と答えたのが、今回、女満別から羽田までし
か飛行機が取れず、東京から新幹線で参加したM君。一度はその返事で引き揚げた岡
田先生、引き返して、クラスのリーダー格だったS君を名指し、S食べていないのか、
と詰問。S君、自分は全く関与していないのに食べましたと答え、3組全員奈良外出
禁止。
とばっちりを食らった女性陣からは今回も非難囂々。カンニングと奈良食事事件は、
43期3組同窓会の定番話題、今回は現地でますます盛り上がりました。

43期にとって今回の旅行目的の一つが、その岡田先生に会うこと、岡田先生は、昭和
40年代世界史の教師として北斗におられ「ヨタパン」の愛称で皆に慕われていました。
岡田先生、その後郷里の兵庫に帰えられ、高校の校長先生を務め、退任後北見で文化
講演会などを主宰されました。 
43期生とは10歳違い、泊りがけ忘年会に来ていただいたり飲んだり、先生上京の際は
飲んだり、と、ちょっと他とは異なる深い関係。前回の京都旅行にも来ていただき、
夜遅くまで話をし、翌日数人が岡田先生が会員である有馬温泉の超高級ホテルに泊ま
ったりしました。
その、岡田先生、体を悪くされ、老人施設に入っていて、今回3組中心でお見舞いに
行ってきました。部屋に入っていったときは、先生かなり病人ぽく、ガラケーに多数
入っているメッセージも使いからわからなくて読めないみたいなこと言っていました。
ただ、奈良事件など、昔の話をすると元気を取り戻し、昔の岡田先生に戻る感じでした。
言葉がおぼつかない、歩行器を使うなど、3年前と比べ明らかに弱っては来ていますが、
お会いすることができ、しかも始め会って話すと顔つきがしっかりするなど、みな訪ね
てよかったと思っています。(記:木村篤)


右端:岡田侃己先生=兵庫県出身。昭和39年4月〜昭和48年3月北斗高校に奉職。
          43期3年3組担任。社会科担当。新聞部顧問を務める。
          兵庫県宝塚高校へ赴任。


















































1966年昭和41年当時の岡田先生 







「 東京とどの実会 名誉会長 桂 教夫 さん ご逝去 」  (2019/4/26)


当会の元会長、現名誉会長の桂 教夫さん(24期生)が平成31年4月26日、
お亡くなりになりました。88歳。

桂さんは昭和46年東京都文京区に情報処理サービス会社「株式会社カンテック」
を創業され社業の発展に尽されました。平成16年には北見市に支店である
「カンテック北見センター」を開設し北見市の経済振興にも寄与されました。
また、東京都商工会連合会会長を14年間務め中小企業の振興支援に尽力され
平成25年11月には産業振興の功労者として「旭日小綬章」を受章されました。

当会では会長を務め平成12年(2000年)「東京とどの実会50周年記念大会」
実施の指揮を執られ、その後も名誉会長として我々後輩達を見守ってください
ました。
ここに桂大先輩のご尽力に深く感謝申し上げるとともに心よりの哀悼を捧げます。 
合掌。


「東京とどの実会 会報Vol.15」巻頭に桂さんの記事が掲載されています。





                                    





「 56期 伊藤 俊さん 逝去 」  (2018/12/23)


伊藤 俊さんは学芸大学駅前「Bar WELL STONE」オーナーソムリエ、
「ダイニングバー ヴェスパ」渋谷店・青山店マスターを務めていました。
洋酒やワインについての造詣が深く、休日は洋酒勉強会や産地訪問など
研鑽に励み後進の育成にも尽力されていたそうです。
飾らないお人柄に多くのファンやお弟子さんから慕われていた方でした。
合掌。





 


                                    




「 東京とどの実会 幹事 松浦宏幸さん(41期) 逝去 」  (2018/11/24)


11月9日に交通事故に遭われ入院中だった松浦宏幸さんが
11月24日逝去されました。
松浦さんは41期幹事としてとどの実会の運営に尽力され
毎年の総会でオープニングの校歌斉唱のリーダーを務めて
くださいました。
生前の厚誼に感謝し心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。





 


                                    





51年前の「とどの実会報 第2号」見つかる  (2018/10/23)

 
  北見のとどの実会が1967年・昭和42年3月12日に発刊した「とどの実会報(第2号)」が発見されました。
  42期平澤芳樹氏が保管していたものです。

  この当時は創立以来45年間使用していた初代木造旧校舎(1923年・大正12年完成)が老朽化し全面建て替え中で
  第1期工事が完成した時期でした。2代目校舎工事に関連した記事が随所に見受けられます。着工に至るまでの
  諸先輩・PTA・関係者のみなさんのご尽力ご苦労、ポプラ並木伐採、寄宿舎(ピアソン寮・牛舎)、各地の同窓
  会など、往年の母校の様子がわかります。
  ちなみに、真新しいコンクリート製の2代目校舎で1967年から43期生が学び始めました。

  
  1面                2面
   

  3面                4面
   



 ▼初代校舎:大正12年(1923年)11月落成
  【1966年頃】
  

  【1955年頃】
  


 ▼2代目校舎:昭和43年(1968年)12月全工事終了。1969年・昭和44年8月落成記念式典挙行
  

  【1992年頃】
  


 ▼3代目校舎:平成10年(1998年)10月竣工。引き続き体育館・柔剣弓道場・部室等建築。
   平成14年(2002年)9月 開校80周年並びに校舎改築落成記念式典挙行。
  




「 野螻先生 ご逝去 」  (2018/5/18)

 
 野螻久子(のけら ひさこ)先生が5月18日老衰のためご逝去されました。97歳でした。

  野螻先生は1954年(昭和29年)5月から1972年(昭和47年)3月まで18年間家庭科教諭として
  教鞭を執られましたので、30〜47期生はお世話になったことがあるでしょう。女子からは
  もちろん男子生徒からも慕われた北斗名物先生のお一人でした。合掌。

  ▼同窓会会報Vol.18(2017年発行)に担任された47期3年3組有志と野螻先生の温泉旅行記事が掲載されています。
  


  ▼42期生修学旅行引率の際の写真(1965年11月)
       
    日光東照宮             平安神宮                                             
 





「 85期 藤澤五月さん 銅メダル おめでとうございます 」  (2018/2/24)

 
 ☆藤澤さんの栄誉を讃え 校歌斉唱

                                             
 




「 役員新年会 」  (2018/1/20)

 平成30年役員幹事新年会が開催されました。(市ヶ谷・オホーツクの恵)
 

 
   長谷川会長(40期)  前田副会長(40期) 田上さん(50期)                    小山内前会長(26期) 池田さん(45期)

 
   馬場監査役(34期)    宮井元会長(27期)            

 
                                           
 




「 東京とどの実会 副会長 作田英二さん(43期) 逝去 」  (2017/8/20)

43期 作田英二さんが8月20日逝去されました。

作田さんは永年当会の副会長を務め会の運営に貢献されました。
また、東京北見会の幹事長もされていました。
いつも笑顔で気さくな方で世代を越えて誰からも愛されました。

昨年、闘病生活を送っていると聞き心配していましたが、今年の
新年会には元気で参加し、以前のように酒を酌み交わしていました。
3月迄役員会にも顔を出していましたが、5月に再入院されたとの
ことで誠に残念です。

生前の厚誼に感謝し心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。






                                    
 






「 ニューカルチャー発信! 82期 磯川⼤地さん 」  (2017.7.12)

磯川さんは北⽃⾼で吹奏楽部に所属してパーカッ
ションを担当。
その後、 起業を志し東京の本屋さんに丁稚奉公~
指揮者をめざす~劇団で主演俳優~映像事業に
従事するなど… やろうと思ったことをはすぐ実⾏
する⾏動派。
2012年 24歳で北⾒に『〜旅するけむりの図書館~
いわしくらぶ』、2014年に地域情報発信番組『オ
ホバン』創業、 そして今年5⽉に⽔道橋駅の近く
に『いわしくらぶ東京店』を開店し Webメディア
『いわしマガジン』も創刊。
新たなコミュニケーションカルチャーの旗⼿として
毎⽉ 北⾒と東京を忙しく往復している。

  磯川大地 プロフィール



    
▼『いわしくらぶ』は水たばこ(Shisha)の吸
 える図書館カフェ。Bookとshishaをクロスオ
 ーバーさせた 今までに無いカルチャーコミュ
 ニティです。
 子供の頃から本が⼤好きで、都内の書店で修⾏
 を積んだ “本のソムリエ” 磯川さんのユニークな
 発想から⽣まれたお店です。

  いわしくらぶ


▼⽢い⾹りと静かなJAZZが流れる店内。 本棚に
 は約1,000冊の本が並んでいて、 ゆったりソフ
 ァに座ってお気に⼊りの本を読みながらゆっく
 り⽔タバコを嗜む⼈や、 まったり会話を楽しむ
 ⼈たち、 ニューカルチャーやコミュニケーショ
 ン、 ⾯⽩いことに敏感な若者たちでいっぱいで
 した。
 ミニライブやDJなどイベントも開催していると
 のことで、近頃の図書館ブームの更に上を⾏く
 コンセプトに感⼼しました。


▼この⽇は、磯川さんと千葉一⽣さん、齋藤恭彦
 さんの 82期⽣3⼈が揃いインタビューに応じて
 くれ、固く結ばれた同期⽣の絆を感じました。

(右)82期 千葉⼀生さん
   北⽃時代は⽣徒会。磯川さんとShishaを引き
   合わせた張本⼈。現在Web、ネット広告に携
   わる傍ら「いわしくらぶ東京店」をサポート。

(左)82期 齋藤恭彦さん
   北⽃時代は磯川さんと同じく吹奏楽部でパー
   カッション担当。現在は都内の総合PR会社に
   勤務。
                                    
 






「 母校ラグビー部新監督 65期 小野泰章さん 」  (2017.6.25)

65期 小野泰章さんは北斗時代はラグビー部で、故橋本定彦監督のもとでボールを追いかけ、
教員になってからも美幌高校、野幌高校など道内の高校でラグビー部を指導。
今年度から母校ラグビー部監督に就任しました。

8月の高体連支部大会を照準に体力強化を図り「再び花園をめざします」と闘志を燃やしています。  

                                    
 








「 59期 同期会開催しました 」  (2017/6/24)




6月24日(土)、東京とどの実会総会・懇親会終了
後、北海道安平町から恩師・丸子先生をお迎えし、
新宿にて59期同期会が開催され、総勢32名が集まり
ました 。                   


北海道紋別郡西興部村のK君、兵庫県明石市のD君、
札幌のMちゃん、遠方に拘わらず、東京とどの実会
総会・懇親会へもご参加いただき本当にありがとう
ございました。                

札幌から同期会へ参加してくれたE君、盛り上げて
くれてありがとう。北見市のN君、群馬県伊勢崎市
のT君、昨年に引き続きご参加ありがとう。卒業以
来の再会だったY君、まだまだ語り足りないです。

出張途中に同期会へ参加してくれたN君、またその
足でお仕事で地方へ出発しましたね。忙しい中、  
参加してくれてありがとうございました。     

卒業してからの30数年、お互い空白だった時間を埋
めていく作業は、まだまだこれから。ゆっくりのん
びり、楽しみながらやっていきましょう。そして少
しづつ輪を広げましょう。            

また来年の6月も、皆さんと元気でお会いできるこ
とを楽しみにしています。           
            (59期 呉山香代子さん)


















                                    
 






「 東京とどの実会 幹事長 吉村秀幸さん(41期) 逝去 」  (2017/4/26)

41期 吉村秀幸さんが4月26日にお亡くなりになったことがわかりました。

吉村さんは昨年春に幹事長に就任され、幹事をまとめ会務の運営に尽力され
ました。

幹事から兄貴のように慕われた吉村さんでしたが、昨年暮れに突然倒れ闘病
中でした。訃報に接し驚きと悲しみで言葉がありません。

昨年10月に北見で41期同期会が盛大に開催され非常に楽しかったと嬉しそ
うに話されていたのが印象的でした。

また、総会開催に関してなにかと気配りをされていましたので、6月24日
の第67回とどの実会の集いでは会場の上から我々を見守ってくださったと
思います。

吉村さんありがとうございました。

役員幹事一同 心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。




(吉村さんが病に倒れてから、56期 吉見じゅり副幹事長が幹事長代理を
 務めています)





                                    
 






「ジャーナリズム界で活躍中 41期 藤田正美さん」  (2017/5/4)

41期 藤田さんは政治や経済、社会に巻き起こる問題を「分かりやすく」解説し、
しかも「鋭くも他にはない視点」を提供するジャーナリストとして活躍されています。
【経歴】 東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として 14年間の
経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」
創刊プロジェクトに参加。1994年~2000年に同誌編集長、2001年~2004年3月に同誌
編集主幹を勤める。 2004年4月からはフリージャーナリストとして活躍。インターネ
ットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。
現在、東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員。

Facebook → https://www.facebook.com/masayoshi.fujita2332?fref=ts
                                    
 




「平成29年 役員新年会」  (2017/1/21)

東京とどの実会 役員幹事新年会が1月21日新宿にて開催されました。


長谷川会長(40期)ご挨拶 
 

小山内相談役(26期・前会長)



宮井顧問(27期・元会長)



奥澤直樹さん(59期。ラグビー部OB。本日の会場「北の幸 釧路港」で店長を務めています)



        呉山さん(59期・会計担当幹事)  引地さん(52期幹事)




半田顧問(37期・元会長)






「平成29年(2017年)あけましておめでとうございます」  (2017/1/1)


 







「昭和58年 ラグビー部の精鋭たち」 59期幹事 久保依子さん (2016/11/23)


東京とどの実会来年の当番幹事の59期の久保さんから珍しい写真が寄せられました。
卒業アルバムに載っている当時のラグビー部の写真です。この写真は昭和58年(1983年)
秋の撮影と思われその年末花園に出場する3年生(59期)が写っています。





北斗ラグビー部は昭和23年から40年まで続いた第1期黄金時代のあと昭和41年~56年は低迷
(47年は7年ぶり花園出場)していました。59期生が2年生の昭和57年、橋本定彦監督のもと
9年ぶりに花園へ出場しその後平成8年までなんと15年間連続花園出場を果たしました。

今年12月27日から花園で開催される第96回 全国高校ラグビ-フットボ-ル大会。出場校が全国から
続々と名乗りを上げていますが、母校ラグビー部は昨年と今年北北海道大会準優勝。2年連続で
惜しくも花園を逃しています。来年こそは花園に行ってほしいものです。

今年の北見は寒いようで、ラグビー部のHPを見ると部員がグランドの雪踏みをしているそうです。
頑張れ!ラグビー部諸君。

北斗ラグビー部HPはこちら






「46期 3年2組 北見でクラス会」 46期幹事 松田 寛さん (2016/10/29)

10月29日(日)18時から北見の玉寿し本店で46期3年2組のクラス会を、
男ばかり総勢15人で開催しました。
その時、ついでに46年振りに北見北斗高校に行ってみて、その変わり様にびっくり
しました。テニス場の傍で在校生ともちょっと話しして、非常に懐かしく思いました。
でも、街中は完全にシャッター通りになってました。














「41期 北見で同期会を開催しました」 41期 西端政幸さん (2016/10/14)

平成28年10月14日、ホテル黒部(北見)にて41期同期会を開催しました。

詳しくは ↓ をクリックしてください。







「関東近郊会  開催しました」 58期 佐々木斉さん
58 期は東京とどの実会当番幹事にあたっており、
その顔合わせと同級生の交流を兼ねて開催しました。
次は「東京とどの実会」で会いましょう。






「58期 同窓会 開催しました」58期 佐々木斉さん 

 2015年10月10日 札幌・キリンビール園

58 期は北見北斗高校が普通科のみ8クラスになった最初の年です。
入学したときは360 名、卒業時は転校などあり330 名ほどでしょうか。
同窓会は北見市で一度開催しましたが、札幌市に同窓生が60 名ほど住んでいるため、
4 年前に幼なじみの同級生が運営する「キリンビール園」で同窓生の集いを開催、今年
(2015年)はリクエストがあり再び開催しました。

私は別添の写真でご覧いただけるとおり、昭和57 年の北北海道大会で準優勝した野球部
のキャッチャーです。人文字「北斗」での全校応援の中、プレーした選手です。
前田さん(東京とどの実会前田事務局長・40期)も在学中、野球部が甲子園を賭けて
釧路商業と決勝戦を戦ったことと思いますが、私たちはその19 年後、超満員の北見市営
球場で甲子園を賭けて戦いました。

私はそんな野球部なので知名度があるとして、札幌市のキリンビール園での同窓生の集い
の幹事を務めました。
同窓生の集いは、往復はがきでの出欠確認ではなく、「学年だより」という新聞を何度か
発行して気運を盛り上げて開催案内を送っています。
連絡先がわからず、開催案内が届かない人は「不明者リスト」を同封して、同窓生からの
情報によって把握に努めています。

2回の開催で300 名弱の同級生と何らかの方法で連絡が取れる体制ができました。
宴会では名札を用意、3 年次だけでなく、1 年次のクラス、出身中学も表示、各々の話題
づくりになればとしました。

開催日の4 日前には「ワクワクして来てください」と当日の出席者を事前にお知らせして
います。

二次会はなく、午後3 時から閉店の午後10 時まで7 時間、途中からの参加や帰宅もOK
にして、一つの会場だけで長時間開催いたしました。
会場が同級生が運営するキリンビール園だからできることかもしれません。

マイクを持って30 数年ぶりの自己紹介は、結構、人気が高く、MRJ の製造に携わってい
ます、とあいさつした同級生も、高校時代下宿生の部屋でちょっとお酒を飲んでふらふら
になっているところを北見駅前交番のお巡りさんに見つかり、それがきっかけで警察官に
なったという同級生もいました。

宴会の様子は「学年だより」に掲載して欠席者にも送付、同窓会への関心を高める取り組
みもしています。

また、北見駅から北斗高校への道のり、出身中学校の現在の様子(校舎の写真)、強行遠
足の各関門の写真なども学年だよりやFacebook でご覧いただき、母校への関心を持って
もらう取り組みもしています。

https://www.facebook.com/groups/289468654405957/?fref=ts



自己紹介の様子

当日配った
「しおり」「名札」と
用意した卒業アルバム
宴会の様子
 
後列右から
2 人目の女性は、
東京とどの実会開催
のためみんなから
「久美頼むよ~」
と言われている
女性です。
母校へ寄付訪問

母校へ寄付訪問
した時の
集合写真。

先生3 名と
58 期3名が
写っています。

後列のスリムな
白髪の目立って
きた佐々木匡と言う
先生は、ラグビー部が
10 年ぶりに花園に
出場したときの
スタンドオフ、
58 期生です。

左端の山田先生、
野球部の監督を
務めている
66 期の
後輩先生です。

昭和57 年の
北北海道大会
決勝戦の人文字
「北斗」の写真。
【58 期】は高校野球
の応援をこれでもか
これでもかと何試合も
経験した年ですので、
ほかの年代と 野球の
思い出の度合いが
違うと思います。

<58期 学年だより> PDF
◆5号 (2015/8/10 発行)
◆4号 (2015/3/16 発行)
◆2号 (2011/12/15 発行)


 

◆北見北斗高校第58 期佐々木斉です。
取り急ぎ、Facebook で平成28 年6 月開催の東京とどの実会の当番幹事が当たっていることを投稿して周知に努めました。
静岡県を含む関東地方に54 名おりますので、臨時の「学年だより」を発行して対象者全員に周知しようと思います。
問合先は、東京とどの実会のアドレスwebmaster@tokyo-todonomikai.com にしようと思います。
一人でも当番幹事に参加するよう精一杯、案内したいと思います。
関東に住む何人かに、当番幹事に当たっているので、関東の58 期が一度、集まってはどうか、と投げかけもしています。
何かありましたら連絡をいただければ、できる限りのことはやっていきます。
お気軽に申し出ください。


<事務局より>
佐々木さん同期の方へお声かけありがとうございます。本年は58期が当番幹事になりますので
たくさんの同期の方の参加と総会運営のお手伝いをよろしくお願いします。

   





59期 呉山さん  
「同窓会 開催しました」(2015/8/15)

2015年8月15日、北見市・ホテル黒部で59期同窓会が開催され
同期106名と
恩師4名が参加しました。

























45期 岡田さん
「卒業後45年ぶりの45期普通科合同クラス会が行なわれました。」
 (2015/11/07)

2015年11月7日、北見市のホテル黒部で45期普通科合同クラス会が行なわれました。
1970年3月に卒業してから45年ぶりのクラス会となりました。
北見在住の9名の皆さんが幹事として中心になって、準備してくれました。
当日、1組担任の福重悦郎先生、3組担任の藤原和夫先生、1組14名、2組6名、
3組17名、4組17名、合計56名の参加でした。



これまで、それぞれのクラスごとのクラス会は行われていましたが、
普通科の1組から4組までが合同でクラス会を行ったのは初めてでした。
同じクラスの仲間は2年おきに集まっており、何度も顔を合わせている人が
多いのですが、4クラス合同のクラス会だったので他のクラスの人とは
卒業後初めての再会となりました。
高校生の時の風貌そのままに還暦を過ぎた人、あまりの変貌(?)ぶりに
卒業アルバムの写真を見ながら「誰だっけ」という会話になったり、
懐かしく楽しいひとときを過ごしました。
福重悦郎先生、藤原和夫先生は、2次会にも参加して、交流を深めました。
 

   
1組

2組

3組

4組

記念写真は、古賀信行君(1組)が提供してくれました。なお、クラス会会場での
交流の様子や2次会の写真は、古賀信行君のフェイスブックで見ることができます。
なお、フェイスブックで「友達リクエスト」をして、承認されることが必要です。
https://www.facebook.com/nobuyuki.koga


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翌日11月8日、
立冬になり小雪が降る中、母校を訪ねてみました。
寒い日曜日の朝でしたが、クラブ活動の高校生が登校していました。


校庭で、若いモミジの木が紅葉していました。
近づくと、「38期卒業50周年記念有志の樹 平成25年5月12日」とありました。

先輩たちの記念樹は、しっかりと根付き、鮮やかに紅葉していたことも、あわせて報告しておきます。


 





42期 平澤さん 「50年前にタイムスリップしました!!」 (2014/11/14寄稿)


 42期生は今年が北斗入学(出会い)から50周年という事で、数年に一度道内で開催していた全国同期会を今回は10月23日に東京で開催しました。

 初めての内地開催という事で何人の方の参加があるのか大変不安でしたが、女性幹事を中心に東京見物を兼ねた同期会=レストランシップで海から東京湾の夜景を楽しむ東京湾クルーズ=を企画した結果、全国から87名という大変多くの方の参加があり大いに盛り上がりました。

 次の日は各クラスに分かれ浅草箱根等を見物し久々に「北斗」ブランドに浸りました。





この様子は42期同期会のホームページに載っていますので是非ご覧ください。

http://kitamihokuto42.com/

 
 
 
 
   





44期 角さん 「自転車は楽し」  (2014/9/1 寄稿)

 44期の角です。自転車を初めて2年になります。最初の1年はクロスバイク、昨年の8月現在のロード車(ラレー)を
購入しはや1年、走行距離は累計で1,044kmとなります。

 今年の8月24日、友人と2人で千葉県鎌ケ谷市から横浜へ自転車で走りました。
走行距離は、往復で123.32km、平均時速19.9km、朝6時に出発し鎌ヶ谷へ帰ったときは午後4時でした。

 いつもは、手賀沼(自宅から自転車で40分)あたりを1日30kmから60km程度週1度は走るよう心がけています。


千葉から横浜へ遠乗り

横浜へ向かう途中
早朝の東京駅で小休止

横浜みなとみらい地区
ランドマークタワー

日本丸の前で

横浜港にて







いつもは、近くの手賀沼に

 
 





46期 3年2組 ミニ同窓会  (2014/8/27 松田さん寄稿)

8月27日(水)19:00から,市ヶ谷のオホーツクの恵みにて
46期3年2組の東京在住の同志若干5名で,ミニ同窓会を開催しました。
その時の写真を送ります。
写真は全部で4枚で、何れも芭露(バロウ)という部屋で,
酒が相当入っている状態です。
メンバーは,小沼,福田,柚木,鈴木(平雄),松田です。

 


       松田さん    柚木さん    鈴木平雄さん

 


             小沼さん     福田さん

部屋奥正面に貼ってあるメニューみたいなもので注文したら,単なる飾りだったということで,みんなで大笑い,ということもありました。

 





38期 佐々木梅治さん 上演170回超 (北海道新聞 2014/8/5)

38期生、俳優・佐々木梅治さん(劇団民芸)が広島原爆で被爆した父と
その娘を描いた演劇「父と暮らせば」を一人芝居で演じ、上演回数が170回を超えました。


記事はここをクリック





●32年ぶり 北見北斗 ベスト4 おめでとう! 2014/7/23

全国高校野球選手権大会 北北海道大会 準決勝 7/23
釧路工 10:3 北見北斗 (8回コールド)
NHK速報

母校野球部はこの3年間北北海道大会の常連となっています。
一昨年は準々決勝ベスト8。昨年は1回戦。
今年は32年ぶりに準決勝ベスト4に残るという輝かしい戦績です。

野球部諸君よ、よく頑張った!北斗健児ここにあり! 
君たちの活躍に我々卒業生は感動したぞ。胸を張って帰ってこい。そしてまたガンバレ!
応援してくれた皆さんありがとう。






40期 長谷川知子さん 作品展 開催中 (2014/7/19) 


クリックで拡大

「後藤竜二x長谷川知子展」 7/19〜9/21 

町田市の市民文学館
で開催中です。

期間中、後藤さん長谷川さんご自身による「ワークショップ」
「ギャラリートーク(展示解説)」が開催されますので
是非おでかけください。


詳しい案内はこちら


町田市 市民文学館は
JR町田駅から徒歩7〜8分。

「1ねん1くみ」シリーズが
全巻揃っています。
1階閲覧コーナー。

2階の展示室入り口
写真撮影コーナー
絵本の登場人物の衣装を着て
記念写真が撮れます。


躍動感あふれる
長谷川さん直筆の原画が
並んでいます。


拝見して
しばし童心に返った気分でした。

 
  お子さんお孫さんと行かれると
きっと楽しいですよ。
   
   




48期「伊藤彰規 展」レポート (2014/7/6)

48期 伊藤彰規さんの個展 ー星を持つ街ー を拝見してきました。

鎌倉。
観光客でごった返す小町通りから一本入った閑静な住宅地のなかに「Gallery  ジ・アース」 があります。
民家をギャラリーとして
利用しています。

最終日の訪問でしたので、伊藤彰規さんと奥様がおそろいでした
お二人とも48期生です。

年3〜4回個展をひらいているとのこと。

ここ数年、オホーツクブルーを基調にした作品が多いそうです。
母校北斗高校、北網圏北見文化センターに伊藤さんの作品が飾られているそうです。

売約済みの作品が沢山ありました。
 
 
 
額のガラスが反射してますが、これが今回の個展のメイン作品です。素晴らしい!

   






42期 バーベキュー (2014.5.22)

お台場「潮風公園」でBBQを楽しんできました。





40期 長谷川知子さんからのお便り (2014.4.27)

ツツジの花と
牡丹の花、
春は華やか、
春は賑やか。

   

不思議な花芽をもった
チューリップ、
早い朝はこうでした。

   

暖かい日差しをあびて、
いま、全部開きました。
わーい
白いチューリップも、
こんなして、まとまって
一斉に開くと、みごとです(*^_^*)







   

八重のチューリップです。
昨日切り花にして、
鍋の花器(^_^;)に挿しました。
八重も最初白い花でしたが、
だんだんピンクになって、
花器のなかで大きく
育って、まるで牡丹の花のよう。

花びらも濃いピンクになって、
妖しい雰囲気を醸して来ました。
こうして活けるとチューリップも
ゴージャスですね。

   

ポストに行く途中抜けて行く道は、
ぐるりが竹ヤプ。
竹の子が、ニョキニョキ。

 
   

竹薮を抜けて帰って来ましたら、
お隣さんから、
ちょうどよかったの声。
蕗やら、珍しい、
コゴミをいただきました。

 
   
   




 

43期 お花見 

今年も43期の皆さんが
靖国神社で恒例のお花見会





日比谷 松本樓  2013.11. 53期 渡辺由紀子

 

53期 渡辺由紀子です。
諸先輩達のように同期会がないため紹介することが
あまりありませんが・・。

そもそも、とどの実会の総会に初めて参加させて
いただいたのが50周年の時です。
53期は一人でしたが、前田幹事長がお声をかけて
くださり、いつも間にか幹事をやることになり
今にいたっております。
同じ世代の方がもっと増えるとうれしいです。

総会ではいつも着物で参加しております。
40歳の手習いで始めた気付教室月に2-3回は着物で
出掛けるようにしています。




11月末は日比谷にある松本楼での会食、
銀杏が黄色く色づいてとてもきれいでした。

毎月26日は10円カレーがあるようですので
お時間がある方ぜひお出かけください。




38期佐々木先輩舞台
  2013.12.23 53期 渡辺由紀子

12月は忘年会が多くバタバタしておりましたが
21日浅草の木馬亭に行ってきました。

遊戯空間公演「仮名手本忠臣蔵」全段通し
リーディング

大星由良助役は
38期佐々木梅治さん(劇団民藝)です。

昨年に続き2回目の公演です。

語りだけで演じるものですが徐々に引き込まれ
思わず涙が・・・。

14日の討ち入りの前後にはいつもテレビで
忠臣蔵をやっていましたね。


帰りにはおでん屋さんで日本酒を飲みながら
いい時間を過ごしました。


写真は 38期 佐々木梅治さん

神楽坂 居酒屋「樽八」にて
http://www.sapporobeer.jp/gourmet/0000010999/








42期 東京忘年会  (2013.12.15 広川)

42期東京忘年会は夏のバーベキュー以来の再会で
関東および京都大阪から31名が集まり楽しいひとときでした。
中には卒業以来47年ぶりの再会の友もいて旧交を確かめあう光景も。

42期は昨年北海道ルスツで全国同期会を開催しましたが
「次回は東京で」との声に応え来年10月23日に東京で
「42期全国大会〜東京湾クルーズパーティ〜」を開催することになりました。
女性幹事さん中心に男子が実働部隊になる実行委員会がスタートしました。


42期のHP
http://kitamihokuto42.com/









桂教夫名誉会長 『旭日小綬章』受章! 
(2013.11.03 発令:内閣府)

11月3日文化の日に発表された平成25年秋の叙勲受章にて、
東京とどの実会名誉会長 桂教夫先輩(24期)が 
『旭日小綬章』を受章されました。おめでとうございます。

桂名誉会長は永年東京都商工会連合会会長を務められ
中小企業振興に尽力された功労が認められたものです。


   






45期 3年3組クラス会   2013/9/15  45期 岡田光弘


45期3年3組クラス会が、9月15日に札幌市・全日空ホテル札幌で行われました。
クラス45名中(2名死亡)15名が参加しました。東京とどの実会の会員になっている
5名も全員参加していました。
久しぶりのクラス会で、楽しく懐かしい時間を過ごすことができました。
クラス会を準備された札幌近郊在住の皆さんありがとうございました。

 

 



良い(41期)友の会合唱部部活動を開始   2013/9/11  41期  松浦 宏幸

 6月の東京とどの実会は1年ぶりに楽しい一時でした。
 それからおよそ1ヶ月後、良い(41期)友の会樋崎会長から招集がかかり、
小櫻さんが良い友合唱部のために新曲を作られたので、早速歌の練習を開始
するとのことで、7月21日午前10時、上野駅公園口に樋崎さん、小櫻さん、
松浦の3人が集合しました。

 練習場所を上野公園と決め、いざ公園へ。小櫻さんのギター伴奏で歌の練習
開始です。テンポの良いステキな曲と哀愁のある故郷(北見)を思い出させる素晴
らしいメロディーの曲でした。

 が、その日はなまらクソ暑い日で、そのうえヤブ蚊の攻撃に遭い、早々に切り上げ
昼ご飯とすべく、アメ横に移動し海鮮食堂に入店しました。

非常に暑かったので、まずは喉の渇きを潤そうと思ったら、なななんと500円でお酒が
飲み放題なのです。嬉しくて嬉しくて思いっきり飲んでしまいました。
(その日は開店セールで、現在は飲み放題は無いようです。)

 その後3人は近くのカラオケ店で午後の練習開始。お酒もたっぷり入ったので、声も
しっかり出ておりました。ギター伴奏のコード練習も併せて行いました。練習を終え、
太陽が高いうちに帰路につきました。

 その日の夜のテレビは、参議院議員選挙の開票速報で自民党の圧勝の二ユース
が流れていました。思わず中島みゆきの曲「時代」を口ずさんでしまいました。
まわる まわるよ 時代は まわる ・・・・・・・・・♪
 合唱部部活動開始の様子を紹介しました。



追伸
 過日、樋崎会長からメール着信。「ギター買っちゃいました。練習しまーす。」
J J J 驚きです。でも、何かを始めるのに年齢は関係ないですよね。
来年の東京とどの実会でお披露目出来るよう、部員一同頑張ります。

                  41期  松浦 宏幸









41期の仲間の紹介  2013/8/21 吉村秀幸(41期)



1.41期卒業仲間の集い

 (1) 良い(41期)友の会
    41期の関東在住有志の懇親会で年に3~4回程度集まり飲んで、
    駄弁って、カラオケやって楽しんでいる。東京とどの実会にも
    メンバーは毎年参加しています。


 (2) 昨年の東京とどの実会で合唱を披露
    昨年、小櫻君が作曲した歌を仲間で練習してとどの実会で披露
    したが更にバージョンアップして又チャンスが有ればとどの実会
    で披露すべく活動を開始している。


 (3) 関東在住の41期の同期会の検討
    良い友の会のメンバーだけでなく41期の同期会をやろうと
    準備を進めている。


 (4) 41期のクラス会
    3年1組の仲間は数年毎に北見近郊の温泉に集まってクラス会を
    行っている。
    今年は温泉ではなく市内の黒部ホテルで行われた。この時に関東
    在住者によるミニクラス会をやろうということになり、11月9日に
    上野で開催するが決まった。




2.41期卒業仲間の紹介

  北斗高校卒業生は人材が豊富で各分野で活躍しておりますが、
  41期の藤田正美君を紹介します。
  藤田君は現在フリージャーナリストとして活躍しております。
  彼は国内外の様々な問題に精力的に意見を発信しております。
  インターネットで藤田正美で検索すると簡単に確認できます。
  是非、確認してみてください。

藤田 正美(ふじた まさよし)
ニューズウィーク日本版 元編集長 / フリージャーナリスト

「分かりやすさ」 と 「鋭くも他にはない視点」
政治や経済、社会に巻き起こる問題を分かりやすく、面白く解説。
できるだけ多様な見方を提供すべきと、多様な視点を提供してくれる。
新入社員~企業の経営者、政治家と老若男女の購読を
集める藤田氏のメルマガは知る人ぞ知る。
講演ではより実用的なお話も聞ける。
講演後、必ずニュースを見る「目」が変わります。
「明日に備える情報の見抜き方」 視野が広がり、
ビジネスチャンスも見えてくるはずです。

 





寒河江先生 米寿のお祝い 2013/7/28 前田良三(40期)

 昭和40年卒業の2組の担任は数学の寒河江照治先生でした。
今年、米寿を迎えられ、6月30日に北見市のホテル黒部でお祝の
宴を持ちました。

 我が二組は56人の卒業生であったことから五十六会(いそろく会)と
命名しています。クラス会ではなく『修学旅行』と称し、各地へ
二泊三日の旅行をしています。

 全国で活躍する級友が幹事となり、卒業後も交流を図っています。
東京が担当の時は屋形船を貸し切り開催して好評でした。

 これまで、北見を皮切りに、札幌、東京、京都・大阪、富山・高山、
北見(知床)、旭川(旭岳)、帯広(十勝川)などで開催してきました。

 
これからも健康に気をつけ、笑顔で修学旅行に参加し、旧友と交流を
続けたいと願っています。


 (寒河江照治先生 米寿のお祝いの写真)








  学芸大学のシックなバー
  「Bar WELL STONE」 をご紹介します! 
(2013/7/1  47期:伊藤久絵)

 東急東横線の学芸大学駅近くに

同窓生がオーナーの
バーがあるとの

情報で、某日、とどの実探検隊は

駅前に集結、駅から3分程の石造りの

外壁にある黒い扉をそっと

開けました。







 石を模した壁にカウンターだけの

シンプルな店内はジャズが流れていて、

大人の雰囲気を醸し出しています。










 カウンターに置かれた仄かな

明かりが揺らぐ奥に佇む

オーナーの伊藤俊さんは56期。



この地に店を構えて15年とのこと。

ソムリエの資格もお持ちで、

ワインの品揃えには一家言あり

とのこと、





 はじめはおすすめのワインで

グラスを傾けた一同、ワインの

薀蓄など伺いながら、少し変った

モルトウィスキーなど、それぞれ

お好みの方向へと、二杯、三杯と

いただきました。





 

 小さい店名のプレートが出ている

だけで、外から中がまったく見え

ませんが、営業は不定休。



静かな気分でお酒を楽しみたい方

にはおすすめです。

但し、オープンは午後8時です。



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Bar WELL STONE

目黒区鷹番3-3-11
TEL:03-3714-3566
 営業時間20:00 〜深夜2:00


http://r.gnavi.co.jp/6199794/

http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131702/13018298/


伊藤俊


Bar WELL STONE 東横線・学芸大学駅近く







オーナーソムリエ 56期 伊藤俊さん




探検隊員とオーナー伊藤俊さん












「42期 バーベキュー交流会」 2013/5/18 お台場・都立潮風公園バーベキュー広場

42期はお台場の潮風公園バーベキュー広場に15名集まりました。
今回初参加は3組山田君・6組若林君。


 


潮風に吹かれながらのBBQ。楽しいね〜美味いね〜。



 



(左列)西垣内(4)・秋山京(4)・守本(4)・小林光(2)・田辺(5)・若林(6)・高橋悦(8)・角田洋(5)
                   平田英(6)・大和田(3)・山田(3)・平澤(1)・吉田(3)・広川(4) (右列)



 

夕闇迫る潮風公園。対岸は天王洲・品川。



 


●二次会は新橋の居酒屋
     吉田・平澤・平田・高橋・長原・角田・秋山・小林・西垣内・大和田・守本・若林

 
   




「同窓生が親戚に」 44期 井上順治さん近況



 
みなさん、こんにちは、44期(昭和44年卒業 3年4組)の井上順治です。

 昨年の「東京とどの実会の集い」では、44期が当番幹事ということで、
畠山さんといっしょに司会を務めさせていただきました。今年は、
6月8日(土)に 昨年と同じ会場中野サンプラザで開催されますので、
多くのみなさんにご出席いただければと思います。
特に、44期の皆さんには、昨年にも増して多くの方に参加いただき、
久しぶりにお会いしたいです。

 私事で恐縮ですが、この4月に長男が結婚いたしました。嫁さんは、
秋田の人ですが、そのお父さんは、なんと北見北斗の一期先輩43期の
田原敏行さんでした。田原さんも私も社会人となってからは転勤の連続で、
現在はそれぞれ秋田と東京に住まいしていますが、当人同士の出会いがあり、
縁があって今回の運びとなりました。偶然の結びつきとはいえ、
北斗高校同窓の親戚ができて、とてもうれしく感じています。

44期 井上順治

 



昨年の総会で司会を務めた井上さん(右)


48期「伊藤彰規 展」 2013/4/29 

48期 伊藤彰規さんの個展に行ってきました。
ギャラリーに入ると伊藤さんが気さくに声をかけてくれました。
伊藤さんとは初対面です。第一印象、柔和ながら一本芯の通ったお人柄とお見受けしました。

伊藤さんは小学5年生の時に西小に転校、光西中では野球部、
北斗では美術部に所属し多摩美術大学油画科を卒業され画業の道を歩んでおられます。
2003〜04には文化庁「芸術家海外派遣生」として渡仏。パリにて制作活動をされました。
帰国後は毎年個展を開催しているとのことで、ギャラリーゴトウ(銀座1丁目 
銀座中央通りビル7F)では6回目の開催だそうです。

作品を拝見。青を基調にした作風が印象的です。
緊張感に満ちていて且つどこか懐かしい気分にさせてくれます。
難解な抽象画とは違い、樹木・林・山などの自然風景と季節感がモチーフになっていて
見る人の自由な解釈を許し想像力をかき立ててくれる素敵な抽象…と勝手に感じてしまいました。

北見でも展覧会をされ、その中の1作が北斗の校舎玄関に作品が飾られているそうです。

スポーツや芸術の世界で卒業生が活躍されているのは喜ばしい限りです。 (4/29 広川)


 




43期 お花見  2013/3/23

 43期は毎年、靖国神社の境内で花見をします。
靖国神社は東京の「桜の開花日」を決める原木があるところです。
例年、3月末の土曜日と決まっていますが、今年は桜の開花が早く、
急遽3月23日の土曜日に開催しました。
当日は暖かく桜も満開で絶好の花見日和となりました。

               ( 43期 作田 )



















 




岡本倫子スペイン舞踊団公演を鑑賞して (2013/4/7 42期 広川)

4/7(日)新宿・伊勢丹会館6F エルフラメンコにて開催された
「岡本倫子スペイン舞踊団」日曜特別企画公演を前田幹事長&同期生
3名と鑑賞してきました。

岡本さんはアーティストとして日欧で活躍する傍ら永年後進育成と
日本フラメンコ協会の理事を務められている日本フラメンコ界の重鎮の
おひとりです。

会場のエルフラメンコは1967年にできた日本初の食事を愉しみながら
フラメンコが鑑賞できる、フラメンコショーレストラン(タブラオ)。
現在でも都内屈指の規模を誇る由緒あるタブラオです。
この日140全席チケット完売、満員御礼。
「岡本倫子スペイン舞踊団」の人気が覗えますね。

ショーは途中休憩をはさんで約2時間。岡本さんとお弟子さん達の
ソロで構成され、各1曲が10分位の長さの見応えのある曲ばかり。
とりわけ岡本さんのダイナミックかつ繊細なまさに円熟の舞は誠に
素晴らしくて魅了されました。
舞踊界でも母校北斗の同窓生が活躍されているのは嬉しい限りです。

「岡本倫子スペイン舞踊団」是非鑑賞されてはいかがですか。

今後の公演スケジュールはこちら。

岡本倫子スペイン舞踊団HP

Facebook岡本倫子スペイン舞踊団

 


 

第7回北見市ふるさと会参加 (2013/2/23 都内ボーリング場)

「2月23日、第7回北見市ふるさと会親睦ボウリング大会が田町ハイレーンにて開催されました。
この大会は、東京常呂会、東京北見会、在京端野会、東京るべしべ 会が中心となって毎年2月
に開催するもので、今年は99名(団体戦としては12チーム)の参加を得て激しい戦いが展開
されました。東京とどの実会としては、個人戦で前田良三さんが六位となり、団体戦では七位と
健闘しました。プレー終了後はパーティ会場で表彰式及び懇親会が行われ楽しいひと時を、特に
アトラクションでは商品がたくさん用意され(値段の高いものは折りたたみ自転車)ジャンケン
による争奪戦が、また参加賞として全員に三斤パン、ボンカレー、コーヒージュース等が配られ
ました。次回は東京とどの実会からも多数参加したいですね。」(44期 角 諭さん)

 

「東京とどの実会8名でボウリング大会にエントリーしてきました。
チームで7位入賞、前田氏※は個人で6位入賞でした。」(56期吉見さん)

 

※前田氏・・・40期 東京とどの実会 幹事長

参加した
東京とどの実会の皆さん

ストライク!

プレー後の懇親会

 

 


42期 花園50年記念試合応援有志懇親会(2013年1月5日 天理市内)

1/5 花園50周年記念試合を応援した後、天理市内にて
とどの実会関西支部&東京とどの実会42期有志懇親会を開催しました。

中には卒業以来の再会になる旧友もいて、懐かしい昔話に花が咲きました。
このあと「50周年記念試合アフターマッチファンクション」に合流させていただきました。

<参加 11名>
1組 平澤・馬場・伊藤
2組 井田さん・井田お嬢さん・島さん
4組 広川・高嶋・秋山さん・奥田さん
7組 鈴木さん


     馬場     伊藤      平澤    秋山    広川     高嶋
         井田お嬢    井田      島        奥田      鈴木

幹事役伊藤純夫君お世話様でした。

 


42期 東京忘年会&花園50年記念試合出場田辺君壮行会(2012年12月21日 東京六本木)

来年1/5 花園ラグビー場で行われる「花園ラグビー場開催50年記念試合」に
出場する同期田辺君の壮行会も兼ねて42期東京とどの実会の忘年会を開催しました。

<忘年会参加 20名>
1組 小西・平澤
2組 小林光
3組 熊谷・須藤・進香・吉田寛・荒木進澄
4組 大野・佐藤正・西垣内・広川・守本
5組 田辺・角田
6組 平田
7組 中橋
8組 片桐高橋悦

今回初参加は 吉田寛諭君(3組)・中橋淳子さん(7組)です。

9月に北海道ルスツで行われた「卒業45周年記念同期会」のビデオや
「東京同期生のビデオメッセージ」「2009年バーベキュー大会」などの
映像を見ながら盛り上がりました。


「花園50年記念試合」に42期から参加するのは
田辺(5組・埼玉)、高橋正(5組・北見)、高島(4組・札幌)。
みんな怪我の無いように試合を楽しんできてください。
東京の同期生数名も花園に応援に行きますよ。

試合後、関西とどの実会42期生との懇親会も楽しみです。

 

 


 

37期 卒業50周年記念同期会 (2012年9月8日 北見市 プラザホテル)

高校卒業50年の記念同期会が9/8北見市のプラザホテルで
100人からの出席者を迎え開催されました。
卒業以来 “お初にお目にかかります”のメンバーもいて
話が尽きず、各クラス毎車をよんで二次会へ繰り出しました。

報告 (37期 齋藤副会長)

 
 
 
 
   

 

 


 

北見の とどの実会 2012年8月5日    報告 (37期 齋藤副会長)

北見のとどの実会に出席してきました。
今年は総会の部分がなく諸挨拶、乾杯のあとすぐにビール会、そしてメイン(?)の
抽選会が始まりました。
今年は8月5日が日曜日だったため参加者が幾分少なかったとのことですが・・・
38期は来年が卒業50年。記念に母校に植樹するため、あす北斗高に行って場所の
下見をしますと東京はじめ大勢集まり盛り上がっていました。

 

 

 

 


 

 

42期生 同期会
2012/7/28 同期の沢田亜矢子さんが出演する三越劇場ミュージカル「人魚姫」を観劇し
楽屋を訪問しました。




その後、三越前にあるご当地酒場にてミニ同期会をしました




<北見 ぼんちまつり>
2012/7/20〜22 第59回北見ぼんちまつりが開催されました。






34期生 同期会 写真  2012年
34期の金森さんから同期会の写真が届きました。
(34期金森利通さん・馬場正孝さんには東京とどの実会の監査役をお願いしております)


『34期同期会は昭和52年(37才の頃)から始まり、毎回休むことなく今年で36回目になります。
 72才、皆元気に頑張っております。

・毎月定例のゴルフコンペ(12〜13名)も楽しんでおります。

・夏の暑気払い納涼と暮れの望年会(忘年会)も定例となっております。

・北見地区、札幌地区の同期会にも積極的に参加し校歌・応援歌・優勝歌を叫び
 北見北斗の時代に戻って楽しんでいる72才の光輝香麗(後期高齢)者達です。』

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●第36回 同期会   川治温泉 明月苑




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●第33回同期会  古希を祝う 2009.6.8 浅草ビューホテル



 

 


 

41期生 良い友の会 合唱練習風景 2012年
 
41
期「良い友の会」は6月の総会で同期の小櫻崇策君作曲・37期齋藤久江さん作詞の
『同窓会』『おやすみ友よ』を歌うことになりました。
今回の総会の唯一のイベントということで皆はりきっています。


41期「良い友の会」は総会での歌の発表に
向けて練習しています。皆忙しく時間を合わ
せて集まるのは大変ですが燃えています。
ご期待ください。(樋崎)

 
『同窓会』と『おやすみ友よ』を
ピアノ伴奏(CDで)してくれる
ピアニストの竹川由紀乃さん(中央)










42期生 来年京都で応援観戦・懇親会 
北見北斗VS天理 50年前の決勝戦再戦 花園2013年1月5日(土)11時00分キックオフ
●この試合に42期から田辺君が出場します。 
● 42期関西支部 伊藤君によれば、42期3年4組奥田真理子さんのご主人は
奇しくも天理ラグビー部OBでこの再戦試合に出場するそうです。試合当日奥田さんが
どちらを応援するのか興味津々とのこと。
●在関東圏42期生有志は花園へ応援に行き、関西支部同期生諸君と応援観戦後
京都駅近くで4時から42期懇親会を開催します。





42期生 東京同期会「大江戸散策&花見コース」(2012/4/7)

隅田公園にてスカイツリーをバックに記念撮影


      大野(1組) 秋山(4) 角田(2) 大和田(3) 田辺(5) 伊藤(1) 長原(1)
  酒井(1) 沢田(1)                  守本(4)  作田(3) 那須(1)
            平澤(1)    熊谷(3)       小林(2)   広川(4)

 







<震災に関する出来事>
3/11大震災に遭遇された 小野澤哲也さん(60期 宮城県大崎市在住)の体験手記です。

shinsai_onozawa_60ki





41期生 新年会(2012/2/25)

 

2月25日 新宿居酒屋「北海道」で
41期の少し遅い新年会をひらきました。

去年 同期の小櫻君作曲の
『同窓会』を聞いて大感興。
今年の総会では41期で歌うことに
なったので、練習も兼ねて大いに
盛り上がり楽しい一刻でした。
ご期待ください。
(樋崎)

 

 


札幌とどの実会総会・新年交礼会

札幌とどの実会総会が
2012年1月19日(木) に開催され、小山内会長が出席されました。

 

札幌に行っておりました私も参加、
併せて東京とどの実会の案内もして
参りました。
東京とどの実会創立に関与された方や、
「兄が東京とどの実会に行っています」
とか
「妹が出ているはずです」等と、
いろいろな方に声をかけていただき
ました。
     (37期・齋藤副会長)


札幌とどの実会・安藤会長  東京とどの実会・小山内会長

 

              小山内会長  とどの実会・渡辺会長(右)
 


(左から)松本校長   浅野先生   近江先生

 

 

 


2012年1月15日(日) 東京とどの実会幹事の新年会

  久々に桂名誉会長、宮井元会長にも出席いただきました。

 

 


37期生 忘年会(2011/12/29)

暮れの12月29日、忘年会を
開きました。
まだ仕事をしているメンバー
もいるのでギリギリ遅くした
のですが・・・
「孫達が来るから」が3人、
入院をはじめ病院通いが3人。
初めて出た欠席理由でした。
(齋藤)
 
 

 


42期生 東京同期会(2011/12/22 新宿にて)
昨年に続き2011年も忘年会を開催しました。

<一次会参加者 30名>
1組 ひらさわ芳樹、こにし康夫、みやもと守明、
   さかい宣夫、ながはら哲珠、おおの健二、
   かわしろひとみ、

2組 はせがわ博子、さこんじ(角田)優子、
   やべ(宮川)麗子、あいだ(松本)宣子、
   こばやし光一

3組 しん 香、しん(松野)澄子、いしばし正義、
   あしざわ(荒木)都、かわさき(作田)美千代、
   すどう賢一

4組 ひろかわ正三、にしがきうち義則、さとう正徳、
   はが信幸、もりもと孝夫
   いのうえ(奥田)真理子、あきやま(奥山)京子

5組 たなべ円、やまぐち(角田)洋子

6組 ささき(平田)英子

8組 さいとう(高橋)悦子、はやし(片桐)恵子


再会を祝いみんなで乾杯!

左列:まつもと かくた たかはし ひらた かたぎり
        こばやし みやがわ はせがわ かくた:右列


左列:おおの かわしろ みやもと こにし さかい 
        ながはら ひらさわ たなべ はが:右列 


左列:にしがきうち ひろかわ いしばし もりもと さくた
        すどう しん まつの さとう おくだ:右列
 
<二次会もやっちゃいました 20名参加>  

 

 


42期 同期会 開催しました<2010年12月22日>

日時  2010年12月22日(水)
    
場所  TOTI ni BAR (トチバー) 03−6215−8820
    東京都中央区銀座8−5−19 園枝ビルB2F

参加23名
1組:おいかわ博史、こにし康夫、さかい宣男、ながはら哲珠、ひらさわ芳樹、
   みやもと守明、おおの健二、さわだ亜矢子
2組:さこんじ(角田)優子   
3組:いしばし(熊谷)正義、せりざわ(荒木)都、かわさき(作田)美千代、
4組:おくむら(秋山)京子、さとう正徳、にしがきうち義則、
   はが信幸、ひろかわ正三
5組:たなべ円、やまぐち(角田)洋子
6組:ささき(平田)英子
8組:ふじい(志賀)かよ、さいとう(高橋)悦子、さいとう(太田)広子

 


42期生 訃報(2010年12月19日)

■ 4組 古屋孝造君 が平成22年2010年12月19日逝去されました。合掌

 

 


42期生 訃報(2010年11月11日)

■ 3組 柏倉隆裕君 が平成22年2010年11月11日逝去されました。合掌

 

 


 

第34期生の東京地区同期会
昭和52年から毎年集い、今年34回目の同期会を鴨川(千葉県)で開催しました。写真
は34期生の好意で掲載します。又、開催一覧を紹介します。(東京とどの実会 前田良三)

平成22年2010年6月



 



平成21年2009年6月

 


42期生の皆さんへ   2010.9.11  投稿者:42期 ひろかわ  

北見北斗42期生の皆さん  3年4組ひろかわです。
やっと涼しくなって参りました。皆さんお元気ですか。

●6/19の東京とどの実会60回記念総会は42期が当番幹事でした。
上京以来43年一度もとどの実会には出席していない小生でしたが、
42期が当番幹事ということなのでちょっぴり責任を感じて
にしがきうち君とともに俄幹事を努めました。
在京42期生の各クラスのまとめ役の皆さんに声をかけご協力をいただきました。
参加してくれた皆さん、受付を務めていただいたこばやし君・すどう君・
たかはしさん・もりもと君、総合司会のひらさわ君・あきやまさん。
大役ご苦労様でした。

●二次会の同期会は「新宿きくや」に19名参加で大変盛り上がったようです。
私は私用で参加できませんでした。残念。
二次会幹事にしがきうち君ありがとうございました。

●7/19は同期生10名が三越劇場ミュージカル「白雪姫」で
継母妃役のさわださんの舞台を拝見。楽屋訪問までさせていただきました。
さわださん。手ぶらで失礼しました。「毒りんご」ありがとう。
観劇後、皆で日本橋で宴会しちゃいました。2軒はしご。へへへ。楽しかった。

●在京42期生はクラス毎や個人的な集まりはあるようですが
同期生としての横のつながりはほとんど無かったようです。
昨年9/6、1組ひらさわ君らの尽力で築地公園でバーベキュー大会が催され、
久しぶりに1組~8組同期の皆さんに再会できホントに嬉しかったです。
そして今回の60回記念総会がきっかけに「たまに同期が集まるのもいいもんだねー」
というムードが生まれたようです。
北斗時代は知らない同志でも、東京で新しい交流が始まる…っていいかも。

さわださんHP http://www.ayako-sawada.jp/schedule.html
にしがきうち君ブログ http://tky24.exblog.jp/

●さて「東京とどの実会」の役員幹事さんから仰せつかって作っていた
新しいホームページがスタートしましたのでお知らせします。
お知り合いに宣伝してください。
http://www.tokyo-todonomikai.com/

「同期生ひろば」に投稿掲示板がありますので情報交換に使ってください。

今後、小生がホームページ管理人を務めますので、ご意見ご要望が
あればお知らせください。

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西垣内君編集のレポート



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2010/7/19 沢田さん出演 三越劇場ミュージカル「白雪姫」観劇 二次会

   くまがい  ひらた   さくた   かどた 


 かたぎり  たかはし あきやま さとう正 もりもと  

 

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2010/6/19 とどの実会60会記念総会 
京王プラザホテル
42期が当番幹事なので受け付けやりました
 ----------- 東京とどの実会総会のあと42期合同同期会を行いました。

●合同同期会 新宿 きくや

<参加>
ひらさわ芳樹、さわだ元美、こばやし光一、すどう賢一、かわさき(さくた)美千代、
もりもと孝夫、おくむら(あきやま)京子、にしがきうち義則、たなべ円、
ふじい(志賀)かよ、さいとう(高橋)悦子、あいだ(まつもと)宣子、
さこんじ(かくた)優子、いしばし(くまがい)正義、しんかい美代、
やまぐち(かくた)洋子、ささき(ひらた)英子、すぎはら(ささき)幸子

おおた(斉藤)広子、はりや(くらもと)佳代子、

  

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2009/9/6 合同同期会バーベキュー 東京・中央区 築地公園
さかい宣男・たなべ円・ひらさわ芳樹・あらき都君らの呼びかけで集まりました。
途中で帰っちゃってここには写っていないけど かわしろひとみさんも参加しました。

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この後、銀ブラ。有楽町にて 二次会・三次会で盛り上がりましたぞ。